宣長についてよく語られる間違いのコレクション
本居宣長について、あちこちでまことしやかに語られる流言をまとめてみました。
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- 邪馬台国を最初にヤマタイコクと読んだのは本居宣長である
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嘘。 『馭戎慨言』で『後漢書』を引用した中で、「邪馬臺」には「ヤマト」としっかりルビが振ってあります。「邪馬臺国」は「ヤマトノクニ」と読みます。『魏志倭人伝』の引用中の「邪馬臺」にはルビは振られていませんが、宣長は熊襲の類が大和朝廷をかたったと言っているのですから、「ヤマト」と読んだことは間違いありません。
この間違いはWikipediaの「邪馬台国」の記事を始めとしてあちこちに書かれていて、井沢元彦氏の『「常識」の日本史』の中にも同様の事が書かれています。決まって出典はなく、「〜なのです」とか「〜と考えられている」とかの言葉で、あたかも通説であるかのように根拠もなく断定しています。
(2013年7月26日追記)
この根拠のない記述が、ようやく2013年6月19日に Wikipediaから削除されました。また「邪馬台国」の読みも、2012年11月5日に「やまたいこく」から「やまたいこく/やまとこく」に変更されています。(2020年1月3日追記)
Wikipediaの「邪馬台国」の読みのうち、「やまとこく」が、2019年10月11日に「やまとのくに」に変更されました。「やまたいこく」という怪しげな呼び名はそのままです。(2024年11月3日追記)
Wikipediaの「邪馬台国」の「やまたいこく/やまとのくに」という読みが、2023年11月28日に、一旦単一の「やまたいこく」に変更され、さらに2023年11月29日に「やまたいこく/やまとこく」に変更されました。結局、2019年10月11日の変更が取り消されたようです。 - 本居宣長は「日本の皇室が中国に朝貢するなどありえない」という立場から、邪馬台国を大和国ではなく筑紫の小国であるとし、卑弥呼は熊襲の女酋長であるとした
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ほとんど嘘だが一部だけ本当。宣長は基本的に邪馬台(ヤマト)国は大和国、卑弥呼は神功皇后のことであると考えました。その上で、魏と通好を持ったのは神功皇后をかたる偽物であると主張しました。『魏志倭人伝』の記述から、魏の使者が来たところは九州としか考えられないからです。また宣長はこの偽物を熊襲の類とは言っていますが、女酋長とは言っていません。むしろ王は男だっただろうと推測しています(『馭戎慨言』)。
(2013年7月26日追記)
Wikipedia「邪馬台国」の「女酋長」という言葉が2011年8月22日に「王」に変更されました。(2017年1月26日追記)
Wikipedia「邪馬台国」の「王」という言葉が2016年1月31日「女酋長」に戻されました。「『日本の皇室が中国に朝貢するなどありえない』という立場から」などというのは、何の根拠もない憶測です。宣長の学問の特徴は、憶断を持たず、古い文献によって物事を明らかにすることです。文献によらず、自分の好みの結論に理屈を付けて強弁するような事は、彼が最も嫌ったことです。
(2013年8月9日追記)
Wikipedia の「邪馬台国」の『日本の皇室が中国に朝貢するなどありえない』という立場から」という表現は、2011年8月22日に「『日本こそが中国(中心たる国)であるべきであり、日本の天皇が中国に朝貢した歴史などあってはならない』という立場から」と、より恣意性を強調する表現に変えられています。宣長は根拠を示しているのですから、こういう決めつけは不当です。(2020年1月3日追記)
「要出典」とされていた「『日本こそが中国(中心たる国)であるべきであり、』」という勝手な憶測が2014年8月21日に削除されました。「『日本の天皇が中国に朝貢した歴史などあってはならない』という立場から」という部分はなぜかそのままで、「要出典」だけが消えています。 - 本居宣長は邪馬台国を九州の国にするために、『魏志倭人伝』の中の「一月」を「一日」と読み替えた
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ほとんど嘘だが、一部だけ本当。 宣長が「月の字は日の誤りだろう」と指摘したのは事実ですが、それは魏の使者が来たのが大和ではないことを立証する流れの中で言ったことです。簡単に言えば、「月は日の誤りだろうが、一月でも一日でも、大和への行程としては計算が合わない」と言ったのです。魏の使者が来た場所が九州であることは、別に根拠を示しています(『馭戎慨言』)。「邪馬台国を九州の国にするために」に至っては、そのような強弁は彼が最も嫌ったものです。
ところでここでいう「誤り」とは、必ずしも原典の誤りという意味ではありません。写本で伝わる古文書というものは、写す度に誤りが入るのが普通で、学者が研究する際にはなるべく多くの本を集めて校合するのが常識です。特に「日」「月」のような似た文字は誤り易く、それが未知の地理の距離を表すものであればなおさらです。
- 本居宣長の敷島の歌は、ちり行く桜が武士道精神を表現している
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嘘。 敷島の歌とは、宣長六十一歳自画自賛像に書かれた「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」の事です。大和心とは大和魂と同義で、シナの文化を輸入する以前からの日本人の精神を表します。大和心も大和魂も平安時代からある言葉で、後の時代の武士道精神とは関係があるはずもありません。もちろん宣長がこれらの言葉を武士道精神の意味で使うことはありません。
新渡戸稲造氏の「武士道」という書物には、敷島の歌を引用して大和魂を武士道精神と同一視するような記述がありますが、これは新渡戸氏の意見に過ぎず、根拠も示されておりません。
同じ間違いがあちこちに見受けられるのは、誤った情報を鵜呑みにした人が、また別の場所に受け売りのまま書いているのでしょう。しかし最初の発信者は恐らく嘘と分かっていたのではないでしょうか。匿名百科辞典(Wikipedia等)や匿名掲示版(2ちゃんねる等)の情報を安易に信用するのは危険です。特に出典が書かれていないものは大体眉唾物と考えた方が賢明です。
[2010/10/24]文責: 山口志義夫