馭戎慨言(現代語訳本居宣長選集 第2巻)
第2巻 馭戎慨言 - 日本外交史(品切れ)
紀元前一世紀から十六世紀に至る日本とシナ・朝鮮との外交史。 基調をなすのは、日本こそが中国であり、シナを「中国」と呼んではならないという熱い主張である。 内外の膨大な史料を調べ上げ、緻密な考察を加えた本書は、彼の実証主義精神を知る上で最適の書であり、 明治維新の精神的指導者・吉田松陰もむさぼり読んだという傑作である。 邪馬台国の記事は、後世に与えた影響の大きさで余りにも有名。
目次
日本外交の始まり
- 諸外国との国交の始め
- 三韓の朝貢の始め
- 三韓の歴史概略
- 変わることのないシナの習わし
- 日本とシナの通好の始め
邪馬台国
- シナの古い歴史書に描かれた倭人
- 皇朝の御使いではない理由
- 日本とシナで異なる「王」の意味
- 卑弥呼は神功皇后の不正確な伝聞
- 『魏志』の女王国は熊襲の仕業
- 普通の人が天皇と偽った例
- 誤解されている『書紀』の紛れ
倭の五王
- 日本と呉の国との関係について
- 同時期を描いた『宋書』の記事
- 松下見林の比定と反論
- 倭の五王の正体
- 再び日本と呉の国との関係について
隋との外交
- 隋との国交の始め
- でたらめの多い日本関連記事
- 多利思比孤とは誰か
- 日出づる処の天子
- 裴世清来朝の経緯
- 聖徳太子の深慮
遣唐使の時代
- 高表仁、「礼を争う」の真相
- きな臭い朝鮮半島情勢
- 百済をめぐって戦う
- 和平交渉と遣唐使の中断
- 遣唐使の再開
- 新井白石と伊藤東涯に反論する
- 新羅と席順を争う
- 再び祖国の土を踏めなかった人々
- 来朝した唐人の扱われ方
- 誤りの多いシナの歴史書の記述
- 最後の遣唐使
- 唐に詔書をお遣わしにならなかった訳
- 遣唐使の終わりと唐の滅亡
- ポスト唐時代のシナとの関わり
対シナ外交の留意点
- シナから届いた無礼極まりない手紙
- シナ人の無礼な態度への対処法
- 日本の知識人の大きな思い違い
- 大切な内と外とのわきまえ
- シナを「中国」と呼んではならない訳
元寇
- 蒙古からの脅迫状
- 蒙古襲来と神風
- 杜世忠の処刑
- 蒙古再来、二度目の神風
- 御国を救った皇神達の御力
- 元寇の後日談
- 北条氏の功績
明との外交
- 日本国王懐良親王
- 懐良親王と趙秩の対面
- 勘違いに気づいた明の使者達
- 征夷大将軍の手紙
- 嘆かわしい懐良親王の手紙
- 洗脳された知識人を警戒せよ
勘合貿易
- 嘆かわしい勘合貿易の時代
- 疑わしい『明史』の記録
- 悪い付き合いはなかなか切れない
- 足利将軍の書を添削する
- 無礼極まりない明王の書
- 「日本国王」と名乗ってはならない訳
- シナ人に褒められるのは最大の恥
- 勘合貿易中止の大英断
- 勘合貿易の再開
- 簀子の下の舞
- 何のために勘合貿易を行なったのか
- 天皇の御位は揺らぐことはない
朝鮮征伐
- 強大な軍と未熟な文
- 七箇条の講和条件
- 大閤の書を添削する
- 明が恐れた大閤の御勢い
- 御国の恥を残した内藤如安
- 和議の裏で暗躍する沈惟敬
- 明の使いが伏見城で大閤と面会する
- 欺瞞外交の破綻
- ピントはずれの承兌法師の忠告
- 帰国した沈惟敬を待っていた現実
- 大閤は何故朝鮮征伐を行なったのか
- 道理に合わない封貢の話
- 南京を突破口にするべし
- 怯むことのなかった加藤清正
- 大閤、再び出兵を命ずる
- 蔚山城をめぐる攻防
- 朝鮮征伐の功罪
- 東照神御祖命の時代