国民と人の区別
憲法14条の解釈に関連して、
「日本国憲法では『すべて国民は』と『何人も』は厳密には区別されていない。
だから『すべて国民は』と書かれた条文も外国人に適用できる」
と主張している方がいらっしゃるようですので、これに反論させていただきます。
彼らが根拠としてあげるのは憲法22条第2項です。
この条文は「居住地の移動と職業選択の自由」に関するもので、
第1項で国内、第2項で国外の場合を扱っています。
憲法第22条
1. 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2. 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
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彼らの主張は、
「この条文の第2項の『国籍を離脱する自由』とは、明らかに日本国民を前提にしているが、
主語は『何人も』になっている。
これは憲法が、『すべて国民は』と『何人も』を区別していない事の証拠である」と言うものです。
これは前提が間違っています。
そもそも憲法第三章のタイトルは「国民の権利及び義務」ですから、
この章の中のすべての条文は国民を前提にしています。
ですから主語が「何人」であろうとなかろうと、日本国民にしか意味のないものがあること自体、
何の不思議もありません。
その上で「国民は」と「何人も」が書き分けられている訳ですから、
区別していないというのはまったくおかしな話です。
全体的な傾向としては、「〜の自由」には「何人も」が使われ、
「〜の権利」には「国民」が使われることが多いようです。
恐らく将来、「人権・平等」という言葉が金科玉条のように扱われ、
外国人のための拡大解釈が行われる危険を察知していたのでしょう。
例えば、憲法15条は参政権および罷免権を規定しておりますが、
「国民固有の権利」とまで強く明確に限定しています。
ですから仮に、両者を「区別していない」と主張するのであれば、第三章のタイトルに基づいて、
「何人も」はすべて「国民」と解釈するしかなくなると思います。
さて一方、憲法14条第1項は、その内容からは国民限定とは判断できません。
ですから、もし仮にこの条文が「何人も」で始まっていたとしたら、それが国民に
限定されるかどうかについて議論があってよいと思います。
しかし実際には「すべて国民は」と明確に限定されている訳ですから、
これが法の趣旨であって、勝手に「何人も」に置き換えることはできません。
憲法第14条
1. すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
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というわけで、憲法14条第1項は日本国民について書かれたものなので、
外国人については個別の法で定めるしかないと思います。
現行法に規定がないからと言って、法をねじ曲げてよいということにはなりません。
逆に私は問いたいのですが、
「国民の権利及び義務」という章の中で、さらに念を押して「国民は」と明確に限定した条文までをも
「国民に限定されない」と言うのであれば、一体どこまで明確に限定すれば国民限定の法律が
作れるのでしょうか。憲法15条に「国民固有」と定められた参政権・罷免権さえも、
裁判官がその気になればいつでも日本国民以外に拡大できるというのでしょうか。
もう既にそのような危険な動きがあるようです。
さて私の論に対して、「それは学会の主流の学説から外れている」と言うご批判もあろうかと思いますが、
学会とか学説というものには法的な根拠はないので、問題にする必要はないと思います。
大切なのは日本国民がどう考えるかだけです。
日本国の主権者は日本国民で、こちらには明白に法的な根拠があります。
[2009/2/5]
玉くしげ - 美しい国のための提言(〈現代語訳〉本居宣長選集 (第1巻))
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